オオバナ日記

「分ければ解る」をモットーに、私・ソケイの雑記をお送りします。

体の「こわばり」に気づく

こんにちは。オオバナソケイです。

 

自分の体に気づく

 

私はヨガを続けて4年ほどになります。

ヨガのいいところは30個ぐらいあるんですけど、

その中の一つに、「自分の体の状態に気付きやすくなる」ことがあります。

あれ、今日はなんだか右手の動きが悪い、とか

左右非対称さが気になってくるとか。

自分の体のいい状態を知っておける、ということですね。

自分の体に気付きやすくなると何がいいって、早めのケアができること。

つまり最終的には、早めの対処を打てる、ということですね。

そんな体への気付きの中で、今日は「こわばり」についてです。

 

目次

 

 

 

 

 

 

 

 

体のこわばりってどんなこと?

 

 

体のこわばり、といえば

・筋肉が固まって、動かしにくくなること

・関節の動きが制限されている感覚

・冷えて固まっている感覚

なんて定義されますね。

各々の状況によって原因は変わりますが、共通することを挙げれば、

固まっていること ですね。

 

辛いですよね。固まってる、という状態。

私も自覚することがあります。

小さいことなら集中しすぎて同じ体勢を続けていた時。

長期のものなら、様々な原因で当たり前になってしまったこわばり。

気づかないうちに、私たちの体は想像以上にこわばってるかもしれません。

 

こわばると何が起こるの?

 

やっぱり「固まってる」ってあんまりいい状態ではないんですよね。

当たり前に動くはずのものが、動かない。

その状態はストレスを生みますね?

そしてそれを放置するとどうなるか。

さらなるストレスを生んで悪循環へ・・・

なんて状態も想像に難しくないですね?

 

こわばりと心

 

ここまでは主に「体」の症状をメインに書いてきましたが、

ここで「心」に触れてみましょう。

ここからは「バイオエナジェティクス」の理論に基づいて

考察を進めます。

バイオエナジェティクスとは

 

参考図書↓

からだは嘘をつかない―うつ・不安・失感情、“からだ”からのアプローチ

からだは嘘をつかない―うつ・不安・失感情、“からだ”からのアプローチ

 

 

本当に簡単に紹介すると、

「心=体、体=心」という考えを基本に、諸症状を読み解く。

という理論が基本になっています。

心身一体とはよく言ったものですね。

 

さて、こわばりと心の話に戻ります。

 

「心=体、体=心」に基づけば、

体がこわばっているなら心もこわばっている。ということになりますね。

こころのこわばりってなんでしょうね?

様々な症状は挙げられますが、ざくっというと

こころがこわばっている=こころの機能が停止している

と考えることができますね。

心の機能停止 っていうのは、あんまりよくなくて

小さいものだと得手不得手くらいで済むかもしれませんが、

ひどいものだと失感情、鬱 なんてものも考えられますね。

実際、うつ病統合失調症の方は体が硬い=こわばっているという話も聞きます。

体が先か、心が先かはわかりませんが、

筋トレすると精神が健やかになる。なんて巷では言いますが、

そんな話も聞くとやはり呼応しているんじゃないか?と頷けます。

 

これに関しては私の実体験があります。

私の場合は体のケアが先だったんですね。

駆け込むようにヨガを始めてから、心理セラピーの力を借りて心身の健康を取り戻す。

という過程が過去にありました。

私はヨガを始めてすぐ、体の変化が顕著でした。

そこで心も一気に動き出した。という感覚を覚えています。

今では体が動くのと同じように、自分の心の状態や変化にも気付きやすくなったなぁと思います。

心の変化は、体がエンジンになることもあるのです。

 

 

体がきもちいいことが本当に気持ちいい。

 

これは私の好きな言葉であり、物事を感じる指標でもあります。

心と頭は嘘がつけるけど、体は嘘がつけない。

言い換えれば、体が嫌がることは、本当に嫌なんですよね。

割とこれを信じていいと思ってます。

昔の人はよく言ったもので「肚」という言葉があります。

肚に落ちない、肚が決まらない。この感覚ってどこか気持ち悪い。

どこかで拒絶してるんですよね。

じゃあどうやって肚に落とすか?

それはやはり体を使って覚えるのが一番なんですよね。

スポーツやダンスも同じことが言えるでしょう。

動くようになった体が、表現をより自分のものとし、豊かさを増していく。

だけど、こわばっていたら動けないし表現もできない。

だからいつまでも肚に落ちてこない。

感覚がわらかないまま、またわからない恐怖でこわばっていく。

そんな悪循環が、こわばりにはあるんじゃないかと思います。

 

おわりに

 

正直言って、こわばったままでも生きていくことはできます。

こわばりを無視しても死ぬわけじゃありません。

ですが、私がここで言っているのは「生きるをひも解く」ことです。

「ひも解く」っていうのは

より深く、より良く、魅力的に生きることを求めることなんですね。

こわばってるより、やわらかい方が、魅力的に思えませんか?

こわばっていることを否定する文章じゃありません。

だけど「こわばり」も「やわらかさ」もわからないで立ち止まってるくらいなら、

やわらかくなる方を

選んでみるのもいいと思うんですよね。

 

ということで「こわばり」についてでした。