オオバナ日記

「分ければ解る」をモットーに、私・ソケイの雑記をお送りします。

感情を出すアナタが知りたい。善悪はないから。

こんにちは。オオバナソケイです。

先日の台風、皆さんは被害ありませんか?

また、皆さんの周りでも大なり小なり日常と違う動きがあると思います。

 

私は大阪在住です。もう本当に怖かったです。

元々仕事も休みだったので一日家にいたのですが、

聞いたことのないような音、目の前のビルの屋上からブルーシートが飛ぶ様が見られました。

見たことのない景色に怯えました。

昨日の日中、市内を車を運転していましたが、信号機が歪んでるんですよね。

南のほうでは信号の動かない場所もちらほら。

道路に倒れている木なども見かけましたね。

これも本当に怖かったです。

事故の可能性だってあったわけですからね。

 

 

…ここまでで「怖い」ってたくさん書きましたね。

「怖い」も立派な感情です。

「喜び」「悲しみ」「怒り」と同じなんです。

だから「怖い」を感じることも大事なんですよ、というお話しから。

 

【目次】

 

 

「感情を隠すこと」に囚われすぎてませんか?

「こんなの平気だよ」「大丈夫だよ」「なんでもないよ」

いろんな言葉を使って、私たちは強がりますね。

でも本当は大丈夫じゃないとき、ありますよね。

怒り、恐れ、悲しみを相手に悟られまいと振舞うことは多いと思います。

これが悪いことだとは私は思いません。

社会生活においては、必要とされる場面はあるでしょう。

ですが、これは対相手に対しての話。

ここで大事にしたいのは、対自分に対してのことです。

「平気」「大丈夫」「なんでもない」の対相手への言葉で、

あなた自身までなんでもないことにしていませんか?

あなたの大切な感情をなかったことにしていませんか?

 

結論から言うと、感情って無くならないんですよ。

きちんと感じるまでその出来事に対する感情って終わらないんです。

ひどいものは何年、何十年も引きずります。

 

ということは、「大丈夫」で蓋をしたものは、ずっと終わらないんです。

どうでしょう?ちょっとイメージして欲しいんですけど、

あんまりいい感じがしないと思うんです。

怖い、悲しい、怒っている自分を無視し続けるとも言えるんです。

この感じが好きな人って少ないと思うんですよね。

そんな風に自分を扱いたい人は、そんなにはいないはずです。

 

感情を隠すことのデメリット

追い討ちをかけます(苦笑)

もっとざっくり言ってしまうと、感情って呼吸と同じなんです。

当たり前にあるもの。当たり前に行われる動作ですね。

つまり、感情を隠す=呼吸を潜めるor止めてしまう とも言えるんですね。

「息を潜める」という単語がありますが、これってどういう状況でしょう?

辞書から引用すれば

そこにいることを知られないように、息の音が聞こえないようにじっとする。

ことになります。

『そこにいることが知られないように』というのは、『存在を認知されないようにする』こととも言い替えられます。

…これ、無視とも言えませんか?

存在を認知されない=無視 ですからね。

すなわち感情を隠すというのは無視に繋がります。

呼吸を止める、なんてもっと直接的ですね。すなわち「死」です。

息をしなかったら死んでしまいますよね。

 

感情を隠す=「無視」や「死」に繋がる

 

これ以上のデメリットはないでしょう。

 

感情表現は相互理解を深める

ここまでデメリットを書いた後です。

あとはその逆を考えてみたら答えが見つかりやすくなりますね。

 

 

情動は社会的な生物種においては、2つの意味で役立っていると言える。1つは情動が引き起こす内的情感と身体的変化は、私たちに一連の特定行為を遂行、あるいは回避させる。

もう1つは、情動の外的表出は他者に情報を付与し、他者が私たちの経験から学習することを可能ならしめている。

 

ディラン・エヴァンズ 『感情』より

 

 

感情 (〈1冊でわかる〉シリーズ)

感情 (〈1冊でわかる〉シリーズ)

 

 

引用の文がちょっと堅苦しいですね。

注目して欲しいのは、『もう1つは〜』のあとです。

 

ここでいう『情動』はイコール感情ですね。

平たく言うと、

感情を表現することは、相手に情報を与えて学習させる効果がある!

ということですね。

自分の感情表現は、相手に情報を与える効果があるんです。

これはどの感情に対しても等しく平等ですね。

当たり前のことですが、

相手に情報を与えなくては、貴方のことをいつまでたっても相手は理解できません。

何に喜び、何に悲しみ、何に怒り、何を怖がるか。

これは貴方を知る上で大事な情報なんです。

貴方と世界がどう関係を作り、

どうやって現実、すなわち貴方の人生を作るかを考える上で重要な情報です。

『こんなことで怖がる自分が恥ずかしい』なんてことはないんです。

だって怖いんだもの。怖いという事実があるんですもの。

その怖さを貴方自身は認めていいんです。

私は〇〇が怖い。私は〇〇が悲しい。

全部認めていいんです。

この〇〇に入ることは、大半は過去のことです。

起こってしまった過去は変えられないですからね。

同じようにそこで生まれてしまった感情も、一緒に認めてみませんか?

それが呼吸のように自然な、当たり前の感情表現の一歩目に繋がっていくでしょう。

 

感情に善悪はない

そんなこと言っても

「怖い」「悲しい」「怒ってる」ことを表現することに、

躊躇してしまう人は少なからずいると思います。

 

特に日本の習慣でしょうか。

男の子は「泣いちゃいけない」

女の子は「おしとやかに、にこにこしなさい」

なんて言われて育った人も私だけじゃないはずです。

 

これって、悲しみや怒りを禁止する言葉なんですよね。

小さい頃から禁止されてきたから余計に出しづらい環境に、我々はあると思うんです。

 

でも、これって実はあんまり健全じゃないですね。

なぜなら、前述の通り。

感情を隠すことは、「死」に繫がる からです。

 

呼吸にいい、悪いが無いように、感情は善悪で区別されるべきものじゃ無い。

状態の変化、なんですよ。

呼吸って体の状態や動作によって変化が激しいですよね?

それと同じでいいんですよ。

感情に善悪はない。

だから感じてはいけない感情なんてものは、ない。

泣いちゃいけないなんて嘘です。

にこにこして押し隠してなきゃいけないなんて嘘です。

安心できる場所、せめて自分自身に対しては

素直な感情を感じてくださいね。

 

 

おわりに

 

…などと偉そうに書いてますが、

私自身この考えが言葉になり定着するまで、四年かかってます。

しかも心理セラピーの手を借りながらです。

自分一人じゃ気付けないところにいた時期がとても長いです。

でもです。

一歩踏み出してみないと何も出来ないままです。

その一歩すら怖がっていました。感情を表現できずに死にかけててもです。

命に代わるものなんてないはずなのにね。

それでも怖いを理由にせずに踏み出したので、なんとかこうして言葉になりました。

だから、あなたもきっと大丈夫です。

 

まずは、一歩からですよ。